moonlight lovers

いろいろ

舞台プルートゥを観た

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森ノ宮ピロティホールにて。

 

 

 

人生初めての舞台だったんですがめっちゃ楽しかった…

 

舞台には休憩というものがあるのだねえ、シガーロスの昨年の来日と一緒じゃんと思いました。知らないだけで休憩が挟まるのが一般的なのかな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前半75分、休憩20分、後半85分の3時間の構成でした。

舞台前には地下に散乱していたロボット達の死骸のセットが組まれていて始まる前からテンションが上がった…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語の前後は多少するものの大筋は原作に沿っていて分かりやすかった。ノース2号とかエプシロンの話が好きだったから、各々の殺害経緯が全く描かれていなかったのはちょっと残念だけど舞台でそこにスポットをあてるのはやはり難しいよねえ、と。

 

 

前半はゲジヒトがブラウ1589と2回目に会ってメモリーチップを交換するところで終わっていたと思う。(結構曖昧)

 

後半はゲジヒト殺害〜アトム復活〜プルートゥ/サハドを倒す、という感じでエンディングは原作と同じだった。

 

 

キャスティング、大東駿介が一番いい仕事してたんじゃない!?!!と思いました。(いや、私が森山未來と土屋太鳳と吹越満しか知らずに観に行ったからなんだけど)

 

思っていたより土屋太鳳のウランが超良くって、それを観られただけでも価値があるなと思った。私が見た公演では噛んでたけど(笑)それも舞台の醍醐味か〜と思った。

 

 

前半は、やっぱり時間的に各ロボットの殺害経緯は省かれるのね。。と思いながら観ました。

たまに入ってくる日本的な音楽をバックにしたダンスは、日本での出来事であるかつ舞台のポスターにもなっている枠組みに関係があるのか…?と思いました。(日本画は外国画と違って輪郭がある)

枠組みに関しては開発者とか政府に囚われているという解釈も出来るのでは?という…。(まだ推敲不足:18/3/10)

とにかく日本での舞台だなあと思いました、

 

 

後半はバルーンを竜巻に見立てたのは素晴らしいなと思った。ただ原作の最後を読み込めてないのからかもしれないけどアブラーとサハドの噛み合わせがそこまでな感じがして全然感情移入できなかった。その前にアトムが竜巻に飲み込まれそうになったシーンが長かったからかもしれないな。。

 

 

大東駿介演じるゲジヒトが悪夢をみるシーンが何度かあるんだけど、黒子が動かすベッドとゲジヒトの演技の滑らかさが凄くて内心で拍手してました。

 

 

 

キャストというか自分の想像の中で違ったなあというのはルーズベルトだな…。あんなタイプの声優さん(多分聞いたことある)を起用したのは何故だったのか…。もうちょっと馴染んで欲しかったというのは私のただの欲望です。

 

 

ゲジヒトを殺害したアリがめっちゃ可愛かったな…。私が観た公演はアリがマスターお花買ってくれない?って言ってるシーンで。吹越満演ずるアブラーが何回も報酬を支払うシーンで、何回もアブラーが支払うからアリがありー!まいどありー!まいど!まいどありー!まいど!まいど!まいどありー!!みたいな感じになってて、皆笑っててよかった。

 

 

 

 

もうとりあえず舞台初めてだったけど、最後スタンディングオベーションするレベルの舞台でキャストも映像も本当に良い舞台だったと思います。

 

 

ひとりで飲むのも好きなんです

「えーっ、ひとりで飲みに出かけたりするの?」

 

 

私は飲むことが好きです。

大勢(とは言いませんが)でも、一人でも、何なら家で飲むことも好きです。

 

それは人が音楽とか服とか映画とかが好きなように、私が飲食に興味があるからだと思っています。ご飯作るのも食べるのも好き。

 

 

飲みに行くの好きなんですよね、一人でも飲みに行きます〜と発言すると、冒頭の言葉がよく返ってきます。

その言葉には女一人で酒を飲んでいるなんて…という意が含まれていると思ってます。きっとこれ、私が男性なら返ってくる言葉も違ったんだろうな。

 

飲みの場は必ずしもそういう意が含まれている出会いの場ではないと思っているんですよね。マイノリティだとは思いますけど。つまり下心ありありで話しかけてくる人は本当に面倒なのでやめてくれ。そういう意味で来てるんじゃないんだよ。ほっとけ。

 

ゆっくり時間が流れているところで一人でぼーっと物を考える時間も必要だと思いませんか。

私は必要だと思っているし、その場所が喫茶店とか川とかある程度うるさくないところであればどこでもいいんですけど(何なら止まらなくてもいい)、せっかく考える時間を設けるなら自分の好きなものと一緒に考えたいじゃないですか。 珈琲好きなら美味しい珈琲を飲みに行けるところに行けばいいし、音楽が好きならライブを見終わった帰り道の電車とかで色々考えればいいと思う。

 

ただ私にとってのそれがひとりで飲みに行くという選択なだけです。 

私だってカフェインにもっと強ければ絶対珈琲にハマっていたと思うのよね、匂いは好きだし。デカフェとかカフェインフリーってどこでどうやったら飲めるの〜。

 

 

 

 

 

さっき下心云々って言ったけどそういうのここ何年かしてないから上手くできるのか不安ではあるな、忘れてそうで怖いな。てかそもそも入るのかな。

なんてね〜。

消えたいなぁ

別に今すぐに死にたいなとは思ってませんよ。

今凄く堕ちていて気持ちを落ち着かせるために書いてます、誰に見てもらおうとか不幸だったねとかそういうのじゃないんです。ただ自分の気持ちの整理のためだけなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこまで馬鹿じゃないから自分の死ぬ準備を全部してから死のうとは思ってる。

 

 

もっと小さい頃殴られて突かれてお前なんかいなかったら良かったのにって言われて毎日死にたかった頃のことを考えると全然幸せだよ今。小学校の時だけどね。なんで飛び降り自殺のこと考えてずっと窓の縁に座ってたんだろ、何かしらの拍子で死ねたらいいなってそういうところまで根本は楽観的というか人任せなのかよ自分。馬鹿だね〜

 

 

なんで今になって頼りにしているとか会おうとかどこかに出かけようとか言えるんだろうな、私22年間一緒で合った事ないと思ってるんだけどどうしてだろうな。

 

高校受験の時も同じ習字に通っていた子達にお前の成績じゃあの学校なんか無理だよって言われてその場で泣いてしまったけど私その学校受かったよ、でも私はその合格発表の番号を自分で見ていないからまだ私はあの学校に合格したって考えていません。考えられません。未だにその学校は卒業したけど入学もしたけど合格したって思えていません。認められたって思えていません。

凄く些細なことなんですけど、その合格発表の日は一緒に行った人に先に番号を見つけられてしまって私が認識しないまま合格の資料を取りに行かされた。そのことだけ未だにはっきり覚えています。その人の表情とか他に一緒に来てくれていた人の事とか誰とここでどうしたとかもはっきり覚えている。その人が私以上に喜んでいたのも覚えてる。それで、その人が喜んでいたのを見てかなり嬉しかったのも覚えてる。

 

 

なんでもう10年も経ってるのに許せないんだろうな、絶対に取り返せない事なのに。

こんな事が長い間ひっかかっている私はおかしいですか? 

 

 

勝手にふるえてろを観た

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ザッツビューティフルサンデーだよお〜〜〜!!!

 

原作も、ストーリーすらも知らずに松岡茉優目当てで行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松岡茉優を始めとしたキャスト、役柄が皆狂ってる。

 

2時間弱だったけど、2時間超えてるのでは!?くらい体感としてはあった。でも特別ダレることもなく私は楽しめた。 

 

 

一番最初に二が伝票を持ってくるところ、めちゃくちゃイライラした!というかそこだけではない。強引に写真撮られたりとか、誘っといて文句言って終いにはラブホ街に連れ込んでくるとか。素直なのはちょー可愛い!!と不覚にも思ってしまったけど。

 

 

イチは役の人の顔が苦手でどうも頭に入ってこなかった。ただ人気者には人気者特有の悩みってものがあるのだね。

 

 

ヨシカ(松岡茉優)に結構共感できてしまった私はだいぶん拗らせてるかもしれない…と思いました。

視野見は流石にしないけど、街行く人に今話しかけたらどうなるんだろうな〜とは常々考えている。

 

 

モテキでもそうだけど、告白された後に改札を通るシーンとかの演出が好きだな〜。

でも途中で松岡茉優が歌い出したのはま〜じ〜で〜か〜〜と思った。急にミュージカルになるじゃん! 何か違う!!と思った。あと、エンディングはあれでいいのか、むしろあれだからいいのかな。 

 

歯を磨いたり、音楽聴いてノリノリで洗い物してる松岡茉優が特別よかったです。

飼いならされない感覚と思考

野生展と怖い絵展を観てきました。

 

以下、その中で好きな言葉です。

"野生的なものはきどってはいない。おしゃれでもない。それでいて、どこまでもエレガント。ひとことで言って、野生的なものは高貴なのである。"(中沢新一)
"好きなことは自分でつくるのだと思った。"(黒田征太郎)
"見て感じなさい、余計な知識は要らないから、自分の感覚で楽しみなさい、という日本の美術教育が間違っていると思ったからこの本を書きました。"(中野京子)

 

怖い絵の本に関しては初版が出た頃に出会いたかったなと思います。それならもっと美術や世界史が好きになれたのにな。
展示ではビアズリーサロメが観られて嬉しかったです。

 

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来年はエッシャー、再来年はフェルメールの展示があるはずなので楽しみ。あとは京都駅でくまのパディントン展もあったはず。

 

それよか美術館の狭さ、どうにかならないんかなぁ

尊厳死

尊厳死についてのニュースを見た。尊厳死は消極的安楽死とも言うらしい。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171023-00001061-chosun-kr

 

"23日から10の韓国医療機関で、臨終を迎える患者に対する心肺蘇生法などの延命治療を拒否したり、中止したりすることができるようになる。無意味な延命治療に苦しむのではなく、「尊厳死」を選択できるようになるのだ。"

"中止できる延命治療は「心肺蘇生法、人工呼吸器着用、血液透析抗がん剤投与の医学的施術」だ。延命治療を中止しても痛み緩和のための医療行為や栄養分供給・水の供給・酸素の単純供給は停止できない。"

 

日本では終末期医療に関するガイドラインが示されていて、これを見る限り合法ではないけど尊厳死に近い医療は受けられるって事なんかな。

 

私は死を直接見る事ってまあないんですけど、植物状態というか話せない動けない自分の身の回りの事が出来ないのは結構キツいよなあと検査しながら思う。